はじめましてと言うより改めて管理人のかずろっくと申します。
ワンコとラーメン(特に横浜家系、二郎系、煮干し系)をこよなく愛するアラフォーおっさんです。よく異性から「目が綺麗だね!」と言われます(-_-;)。
今現在は失業中であり、就活(表向きは)をやりながら
「ノートPC1台ひとり起業家」を目指して悪戦苦闘の毎日を満喫中!
昨年2020年の5月からある方からAmazon Kindleの電子書籍出版の印税収入のノウハウを教わりつつ何とか今年に入って月1万円以上の印税収入を手に入れることができました。
一一昨年の年末に出版した本がベストセラーを達成することができました。
そして私が今年最初に出版した本「横浜家系ラーメンの世界」の本もSEOでは今も上位にあって現在も売れ続けています。
昨年こそ目標を達成することはできなかったけど、今年2023年中に月収100万を達成することです。
今私は今年6月に開催される「第164回日商簿記1級」の合格を目指して1日6時間以上勉強しているため、電子書籍出版の活動は1日3時間足らずで控えていますが、試験が終わり合格すればひとり起業家に向けての活動を爆速します。
大学中退して飲食の経営者を目指していた20代
大学生の頃空前のラーメンブームでテレビや雑誌で当時ラーメンの特集が連日放映され、あるラーメン店主の姿、生き様に憧れ自分も一念発起して全国的に有名なあの博多ラーメン「I」チェーンを展開している株式会社Cでアルバイトからはじめた。そのとき私は21歳。
最初は社員や自分より年上年下の先輩スタッフに揉まれに揉まれながら何とか食らいついていた。そのうち私の行動や仕事ぶりが当時の店長Sや役員幹部の目に留まり正社員登用の打診を受けその時他の職場経験よりも””やりがい””を感じて「自分はラーメン屋で成功できる」と確信しつつあった。プライベートで問題を起こしていなければ今さら一国一城の主だったはずだけど・・・
借金が発覚し最初の挫折
しかしちょうどそのころ仕事のストレスなどで、風俗やパチンコにハマって消費者金融数社から借り入れる日々が続き、気が付いたら300万円超に膨れ上がっていた、月々に払う利息も増えていき首が周らない状態にまで陥っていた。
当時の店長Sが職権の範囲を超えて私に対しての過度なプライベートの執拗な介入、と暴力によってその時の自分のラーメン人生は一旦幕を閉じた。
その後自治体から紹介された弁護士の助けで債務整理をして他の企業で正社員の道を探り始めた。
24歳にして念願の初の正社員なったが・・・
ラーメンチェーン「I」を辞めてから1年が経ち24歳の時に初めて正社員として入社したのが株式会社「R」。ここは知る人ぞ知るあの焼肉チェーン「牛×」や居酒屋など日本のみならず海外でも展開される他業態飲食企業に入社。当時六本木にあった本社で研修を受けた後居酒屋「D」の埼玉県のO店に配属。
R社で活躍して実績だして成果を出して日々奮闘していたが、当時同い年の店長やそこにいたアルバイトの陰湿極まりない、毎日20時間労働、意図的なレジ金不足の自腹強制支出の強要、嫌がらせさらには上長による脅迫電話により心身困ぱいによってわずか5ヶ月で退社。
このR社で得たものはほとんどなく、ここで大きく財産の損失、人格精神身体の崩壊だけだった。結局R社にいた時は一体なんだったのか・・・?
その後も他の飲食企業で幾度と再起を図るが・・・
R社を退職して数か月後に別の路面店や百貨店内で展開する「牛一頭買い焼肉」の飲食企業に転職して、一時期1店舗で「料理長」という役職をもらっていた。
そこの企業の人は上司もアルバイトも特に酷い人間はいなかったが、しかしR社の時に受けた陰湿極まりない行為を受けたことがトラウマになったこともあり、今思えば人格精神状態が崩壊したままだったので自分が理想とした活躍ができないまま2年足らずで退職。
その後も別の老舗焼肉屋、ラーメンチェーン店に転職するが、精神的な以上も気付けず、老舗焼肉屋では非人道的言動と暴力まで受け、元々あった甲状腺の持病の悪化と伴い、精神状態も粉々に崩壊して34歳で飲食業勤務を引退。
発達障害の診断を受けてから
飲食業を退社して、半年ぐらい経過してから甲状腺の摘出手術をして、飲食では働けない身体になってしまった。しかも都内にある精神科クリニックで「広汎性発達障害」と診断された。
私は前職の就職先が決まるまで、県内と都内にある就労移行支援事業所に通所して、そこで無料で開いている「簿記」の講座に出会って、学習からわずか3ヶ月で日商簿記3級を独学で取得。翌年も独学で日商簿記2級を取得。
最後の挑戦で今年6月の日商簿記1級合格に向けて猛勉強中。